『芭蕉という修羅』

著者:嵐山 光三郎 出版社:新潮社(電子版)

メモ:
kindle位置№84 “土木、水利の技術にすぐれていた藤堂藩は幕府から神田上水の改修工事を命じられていた。芭蕉が若いころから仕えていた藤堂藩伊賀上野の侍大将藤堂新七郎も、若いころは神田上水の工事にかかわっていた。”
kindle位置№673 “芭蕉の発句は、後の枯淡なる独白や、風雅なる旅の句も、基本的には作り話が多い。フィクションである。(中略)これは悪いことではなく、(後略)”

kindle位置№4116 “芭蕉が江戸へ着いたのは元禄四年十月二十九日で、元禄二年の春に『ほそ道』の旅に出発して二年半余の歳月がたっていた。しばらくは日本橋橘町の彦右衛門方の借家に仮寓して、元禄五年の新春を迎えた。”

芭蕉という修羅